タムシダはラバトの北にあるケニトラの街から北へ17km位のところにある遺跡。
周辺に近づいてもどこにあるの? どこが遺跡なの?と思うくらいの場所。
ほとんど何も残っていない。草ぼうぼうの草原に近い状態。外見上は何が大事なのか?
全く分からない。見渡すと人口石が多少整然として並んでいるところがびっくり。
ここには何があったのか? 詳しいことはほとんど分かっていない。
この遺跡の横にセボー(Sebou)川があり、河口はケニトラ、上流はフェズの先。
このセボー川は oued の接頭語の付かない川。昔から水量が安定していたのだろうか?
oued とは「北アフリカ地方の水なし川」のこと。雨期だけに大量の水が流れる川。
セボー川沿いにできたローマ時代の遺跡。時代的にはヴォルビリス遺跡のあとに
出来たらしい。遺跡は浴場跡、通りの跡、プラレトリアム(大きな建物?)の跡など。
こんな概要でしょうか?!ヴォルビリスからすると全く見栄えはしない。
まだ、ラバトのシェラの方がましかも!! それとこのタムシダの北でタンジェの
南にもこれよりも、もっとしょぼいローマ時代の遺跡がある。ローマ帝国は
この地まで勢力を伸ばしていた。モロッコには建物を築くための石が少ない。
花崗岩に近いものはほとんどない。モロッコは砂岩が多い。頑丈な花崗岩から
比べると砂岩で大きな建物を作ることはあまりない。
モロッコでよく思うのが、ローマ帝国はモロッコの各所に街を築いた。
しかし、オスマン帝国はアトラス山脈を越えることはなく、モロッコの大西洋側に
攻め入った記録はない。オスマン帝国の勢力は地図を見る限り巨大なもの。
なぜ大西洋側を占拠することに至らなかったのだろうか!?この差は何だろうか??
モロッコ各所を散策するときによく考えてしまうことだ。