モロッコの旅 あれこれ

ガイドブックに載っていない場所やものごと 知って得するかも!何かを探しながら旅している人!モロッコだけだけど、何かがあるかも!

旧タンジェ港 新タンジェメッド

タンジェには2か所の港がある。メディナに隣接した旧タンジェ港とタンジェの街から

50kmくらい離れたタンジェ メッド(Tanger Med 赤い矢印)がある。

フェリーの発着時間とか料金とかほかのサイトを参照をお願いするとして!

タンジェ駅から港までの移動は旧タンジェ港は徒歩でも行けるがタンジェ メッドは

無料のバスと電車がある。バスは多いが、電車は一日一便だけのはず?

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                         MICHELN  MARCO 地図より

こんな場所に港を作るなんて何を考えているのだろう!もう十年近くなるかな!

今ではこの旧タンジェ港と新タンジェ港の使い分けができている。

旧タンジェ港はスペインのタリファ、フランスのセッタ、イタリアへ行くルート。

タンジェメッド(赤矢印)はスペインのアルヘシラス、ジブラルタルへ行くルート。

 

ロッコはこのジブラルタル海峡に顔を突っ込みたかったのだろうか?!

それともアルヘシラスへの時間短縮が目的?それだけではない、もっと深い!

ジブラルタル海峡の最大の存在感を示しているのは当然、イギリス

その次にスペイン! スペインはジブラルタルを返せと訴えてはいるが、

イギリスは知らん顔! その代わりとは言っては何だけど、スペインはモロッコ側に

セウタがある。セウタのアチョ山ジブラルタルには劣るけど、二番兵士としては

ジブラルタル海峡を見渡せる存在感がある。そこにはモロッコの存在感は全くない!

かつて、この新タンジェ港のタンジェメッドを作ろうとしていたころの話。

この港の数キロ東にペレジル(Perejil)島というスペイン領の島が泳げる距離にある。

ロッコとしてはこの周辺に手を付けて港を建設したかったのだろうか!? 

ロッコ人が近づいた時にスペイン軍が乗りだしてモロッコ人を強制排除した。

この話は日本でも小さなベタ記事にもなった。ちょうどその頃から建設した。

ロッコ軍がスペイン軍に勝てるわけがない!誰しもがそう思っている。

 

王様の肝いりで出来たこの新タンジェ港。ロジスティックを考えた物流拠点

としてはいいのだろうが、なぜカサブランカではなかったのだろうか気にはなる。

ロッコルノーやほかの車の組み立て工場はある。車そのものは作れないけどね!

ロッコはちょっとした組み立てならほかのアフリカ諸国から比べるとできる国。

組み立てられた車やその部品の受け入れを考えると新しい大きな港が必要だった。

カサブランカでは手狭。拡張は無理だったのだろうか! ラバトの北のケニトラには

日本企業ほかも進出している。高速道路網がかなり整備されてきた。新タンジェ港も

近くまで出来ている。大きく経済が動くことを期待しての策なのだろうか!

失業率が多少改善されるのはあるだろう!

 

ロッコからヨーロッパへ船で行く場合、アルヘシラスやジブラルタルへ行く人や車が

ものすごい多かった。この新タンジェ港ができる前、ラマダンや犠牲祭や年明け前後は

旧タンジェ港周辺は車や人でごった返していた。それでもセウタのフェリー発着所は

何とかその数量をさばいていた。タンジェ側はぐちゃぐちゃになっていた。

いろいろ考えると、新タンジェ港のような規模の港は必要だったのだろう!

 

それと、この新タンジェ港を作る前にモロッコがスペインにちょかいを出した。

たぶんどこに新タンジェ港を作ろうとして周辺の陸地から一番近い島に立ち入った話。

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これは当時の読売新聞の記事の切り抜き。読売もよくこんな記事を!