18世紀のラバトサレを海から見た絵。
この絵を見る限り、ポルトガルもフランスも全く手を付けていない状態。その時代の
ラバトサレをよく描いている。真ん中にブーレグレグ川があり、右側にウダイヤ、
左側にサレのまちを描てある。
絵の右側のウダイヤだけど、要塞らしさがうかがえる。モロッコ人の手で作った要塞で
小高い丘の上にそびえたつ立派な城壁がよく分かる。いまある海岸に突き出した要塞は
ない。突き出した要塞はポルトガル人が作った別物であることがよく分かる。
(このブログ内の「モロッコの海岸のまち ラバト編」 2019/12/12)
ブーレグレグ川(Oued Bou Regreg)が今より水量があった時代。もしくは今より
水面が広かった時代、大型木造船で川に入りこむことが様子はちょっと
違っていたことだろう!
川の奥に見えるところは船を着岸できる風景を描いたのだろうか?!
また、ハッサン塔(Tour Hassan) の偉大な大きさが描かれている。この絵の時代は
たぶん、フランスが植民地化する前の絵。ウダイヤの要塞やハッサン塔の大きさを
見て、ポルトガルやスペインはこの地に降り立ったのだろうか?
モロッコの海岸沿いでタンジェからアガディールまでの間でこんな風景が見えるのは
ラバトだけかもしれない。西洋人には興味深いまちだったのだろう!?
資源の少ないモロッコは本格的に植民地化するのは物足りなかった。しかし、
場所としては食料補給場所としてはよかったのかもしれない。
いにしえのモロッコを知る意味ではモロッコはフランスに植民地にされたことが
よかったのだろう!フランスだったから今のモロッコを知ることができたのだろう!
そう思いたい(^^)