ウジダの治安はいい方だと思う。観光するような場所はほとんどない。何もないかな!
しかし去年(2018)の夏には、ウジダから南へ40km位のまちでデモ行進が
しばらく続いたようだ。ちょっとは治安が・・・・。これは労働者の生活改善を
求めたデモらしい。ほかのまちへの波及は無いようだ。真意のほどは・・・・。
しかし、このウジダは人口が50万人を超えるような街。なぜこんな場所にこれほどの
まちがあるのか? 観光もないのに。アルジェリアへ行くための宿場町でもない。
かつての宿場町と言った方がいいのかな?! フランス植民地時代に大きく
なったまち。ウジダから南へ行くと地下に鉱物があり、それを運ぶために鉄道を通し、
ウジダを経由して、アルジェリアのオランから運び出していた。その意味では宿場町。
モロッコは石油が出なかったため、フランスにとってはそんなに大きなメリットは
なく、モロッコから撤退する時もウジダは影響が少なかったと聞いている。
ウジダにはもともとはある程度の規模のメディナがあった。一般的にモロッコの
メディナは城壁に囲われている。ウジダのメディナは現在では一部分の城壁しかない。
フランスが占領した時の文化省が作成したメディナの地図を見ても同じだ。つまり
フランスが入植した時もウジダのメディナの大きさが分かっていなかった。
フランスはこのウジダでまちを大きくしていった。鉄道の駅、教会、市役所などなど。
メディナに接するようにして北側に新市街を作った。現在の時計塔のある市役所、
その近くに市場もあって、にぎわっていた。今では市場に相当するモノがメディナの
東に出来ている。そんなこんなでウジダのまちは大きくなっていった。
こんな過程を経てできたメディナ。何か特徴があるかというと何もない。
大モスクも普通にあるし、キサリア(店舗群)、後で作ったコンクリート製の
各種市場もある。新市街の教会もラバトやカサブランカほど大きくないけどある。
それと、新市街の時計塔はフランス植民地時代にできた時計。一時期止っていた。
数十年前のある日、日本人が直したらしく、それからウジダのまちに時を知らせるよう
になったが、いつの日かまた故障した。モロッコ人では直せなかった。
そして機器そのものをリニュアルして今のものになった。
今ではアルジェリアへの国際鉄道もなくなった。たしか、レールもなくなったとか??
線路敷地は残っているだろうから何とかなるのかな。再開しないだろうな~~!
この鉄道で観光客が増えるわけでもない。
ウジダは車や徒歩でアルジェリアへ行く街としては一度は行く街かも・・・。