メクネスを訪問すると必ず見るのがこのマンスール門。ガイドブックはさらっと
この門の内容に触れている。モロッコ国内では素晴らしい城門の一つでもある。
遠目で見ると素晴らしいと思える。しかし下の写真を見てみるとモロッコの
ゼッリージュの緻密さや細かさがあまり感じられない。また、マンスール門の詳細に
関する内容は人物像に関することが多いが、門の装飾はない。一般的にモロッコでは
この大きさの城門はほとんどが砂岩で出来ている。ラバトのウダイア門、マラケシュの
アグノー門などは表面そのものが砂岩で出来ていて、石の彫刻のすばらしさがある。
補修もその都度、砂岩で修復しているだろうと思われる。このマンスール門は全体の
作りを奥深くまで見たわけではないが表面の剥がれた部分を見る限り、板状の陶器
(煉瓦)を組み合わせて作っていると思われる。この作りが美しいかどうかは別にして
マンスール門に関する話に登場する人物像は何かの影響するものがあるのだろうか?!
「イスラームに改宗したキリスト教徒が作った門」この表現は何を意味するのだろう?
純粋に言葉を受け取るのか、その奥深い部分を読み取るのか考えてしまうのは
自分だけだろうか?!
下の写真もそれを思わせてくれる。門の両脇にある大理石の化粧柱の柱頭部分。
コリント様式になっている。モロッコのムーレイ・イスマイルの時代だと柱頭部分は
イオニアやコリントのようなスタイルは用いないで、モロッコ様式で2段の葉っぱが
ある模様になることが多い。明らかにモロッコ人のスタイルではない。メクネスは
ボリビリス(世界遺産でローマ時代の遺跡)に近い。そこにはコリント式がある。
下の写真で柱頭に装飾の無い柱もモロッコには少ないスタイルだ。
この上の写真の二つに映っているモロッコ様式タイル張りであるゼッリージュは
ムーレイ・イスマイルを意識した部分も感じられる。意識した半面、その裏を
見てしまおうとするのはよくないことなのだろうか?! 気になることがある。
ムーレイ・イスマイルが最後に建てた門とされるこの門には伝説がある。
建造中にムーレイ・イスマイルが「この門よりさらに美しい門を作ることができるか」
と建築家エルマンスールに聞いたところ「はい」と返事した。ムーレイ・イスマイルは
その場で怒ってしまい、エルマンスールを処刑したと言われがある。
キリスト教徒とイスラム教徒の確執だろうか?! レコンキスタもあったことだし、
何か深い意味がありそうな・・・・ 考えすぎ??
とは言っても、大体の作りはモロッコ様式そのものだ。門のスタイルは馬蹄形で
その周りには葉形のギザギザ文様、その周りには菱形網目文様、コーランを
記述したフリーズ装飾、門の一番上にはギザギザ状の鋸葉壁飾りがある。
このマンスール門を見て、いにしえに思いをはせて下さい!