ウダイヤは川と海に面した小さな丘(海抜約30m)に要塞を築いた観光地だ。
ガイドブックにはいろんな案内が載っている。この要塞のどこがミステリー?
ウダイヤ門の脇から入って、メインストリートを通過して海の見える広場へ行く。
そこから引き返して途中から降りていってカフェムーアに行き、庭を経て外へ出る。
これが観光ルートである。これではウダイヤが要塞であること、ミステリーは全くない。 下写真は川側から見たウダイヤ
①謎の階段
メインストリートからカフェムーアへ下って行く途中に、左側へ曲がる道がある。
一本目の道を左へ曲がる。しばらく歩くと、一軒の綺麗なお家が見えてくる。
何てことないメディナ(旧市街)によくある一軒の住宅である。
この家は個人の住宅で入ることはできない。しかし、この家が面白い。
この家に入ると中庭のような庭があり、その正面に応接間のような居間がある。
普通にソファーが配置され、壁には書棚がおいて一般的な部屋である。
しかし、そのソファーを移動して、ソファーの下に敷いてあるじゅうたんを
めくり上げたところ、そこには床板が敷いてあった。その床板は数枚に分かれて
外せるようになっていた。床板を外したところ、そこには下へ行く階段があった。
最初に見たこの部屋の雰囲気からは全く想像もできない変化にびっくりした。
その階段を下っていくと、真っ暗な状態である門にたどり着いた。
その門は、もう一段下にある路地に通じるところにあった。
この住宅の持ち主は、いまはイギリス人歯科医だが、もともとはわからない。
この家は川岸から見ると目立つ四角い真っ白な他とは違う形だ。
なぜ? いつ頃、何のためにこの階段が作られたのだろうか? 不思議だ!
②川へ行く階段
植民地時代に余りにも美しかったのか?仏人が描いた階段を下りる方向に見た絵
メイン通りからカフェムーアへ下って行く通りで二本目の左へ曲がる通りがある。
それを奥へ奥へと進んでいくと一軒の普通の家の入口の到達する。
その家がまたくせ者だ。外側からウダイヤを見ると要塞らしい塔の近く。
この家こそ、川へ降りれるような重要な位置にある家である。
要塞にはいろいろな仕掛けがあってこそ、要塞の存在意味がある。
上の絵はフランスが植民地にした頃、フランス人がこれを見て絵にしたのだろう。
いま、この家は入ることはできない、国民的アーティストが住んでいる。
川からの出入り、要塞へのもう一つの玄関口になっていることは確かである。
要塞はいくつかの出入口があってこそ要塞らしさが発揮できる。
この要塞を外側から見ないでウダイアの面白さはわからない。
この要塞は川と海の近くにある。船が大西洋から川に入る時、難しい。
川の流れと、大西洋の波が交差する場所は川への船のアクセスは困難を伴う。
ここをもう一つの出入口にして、要塞の使い道を工夫したのも面白い。
③もう一つの場所
これだけで終わらないのが要塞の不思議なところだ。
これがどこを指すかの詳細はひかえます。
この要塞の地下にはこのような秘密の隠れ場所があるんです。
植民地時代にフランス人が文化省をつくって、実測した図面です。
フランス人は各街のメディナの実測、文化財級の建物の実測などなど。
実にびっくりするくらいの図面を残していました。
上の図面もその一部です。たぶん今後も公開されることはないでしょう。
ウダイヤの平面図です。
④この他にも
塔の家がある。かつて政治家家族がウダイヤの塔の一部を住宅として使用していた。
狭い塔の中で生活していた。
このウダイヤは実に奥が深いことを紹介されることはないのかな・・・