このアイト・ベン・ハッドゥはどこのガイドブックでも取り上げる。
1987年に世界遺産に登録されたし、見た目もモロッコを代表するクサールだ。
記載されている内容はほとんど間違いなく、いい解説がしてある。
住んでいる人は少ないし、崩壊しているところもある。コウノトリもいる。
ここの記事で付随する内容を追加しても面白くないので、表に出ない話である。
塔屋部分の外壁面装飾は部族を表すらしい
世界遺産に登録されてすぐの頃に、モロッコ文化省文化財局の役人に
このアイト・ベン・ハッドゥの平面図があるか?聞いたことがある。
文化省には全くその資料はないとのこと。歴史的文字資料はフランス語の資料が
あるのを確認した。そこでワルザザート県庁に問い合わせた。しかしここにもない。
ある日、ワルザザートでアイト・ベン・ハッドゥの世界遺産登録に携わった
ベルギー人建築家に出会うことがあった。そこでその建築家に歴史的文書以外に
建築が分かる図面や資料があるか尋ねたことがあった。全く何もないとのこと。
この時は、びっくり! この状態で世界遺産には登録できるんだ! ふ~~でした。
後で知ったことですが、危機に瀕している世界遺産の建物は文字のみの文献資料が
残っているだけで、復元しようとしてもその形を残す絵なり、平面図などは全くない。
ベルギー建築家は自分から資料を作る準備はしなかったのだろうか?
その後、すぐにこのアイト・ベン・ハッドゥは等高線の入った山全体の地形図が
作成された。建物の位置関係が分かる平面図や高さの入った図面がある。
これは日本人の測量士が測量して作図した。平面図も日本人建築士が立ち会って
作図した。にもかかわらず、なぜか国連機関の技術者が作った資料になっている。
びっくりですよね! なぜ? どうして? 誰がそうしたの? 実に不思議!?
ベルギー人建築家が指示したのでもないし、モロッコ政府の指示もない。
日本人が作成したことを日本の現地政府機関に話しても「暖簾に腕押し」状態。
これくらい資料が残ると大雨などで崩壊した場合、修復がやりやすい。
当時、これくらいの山の測量はモロッコ人でも出来ないことはなかったけど、
ごく一部のモロッコ人くらいで、正確な測量は作図不可能に近かった。
当時のフランス式に高さを表示するのは要所の高さを表示するくらいで
等高線は正確でない何となく描いている測量図はよく見たことがある。
また、建物の平面図もこれくらいの建物になると階段が各所にあり、階と階の間に
別な階があったりして、平面形態を押さえきれない場合がある。難しい!
さすがクサール!! 砦なんです。要塞なんです。防御しないといけないんです。
こんなつくりの建物はモロッコ人建築家では平面図を起こすことはできなかった。
この平面図はその後、どこに行ったんだろう?? 知りたい!
日本人が貢献したこの話は現地では全くなかったことになっているんだろうな~!
みなさん、アイト・ベン・ハッドゥを見る時には
「日本人が多少関与したんだぞ!」という目で見て下さい。
下写真は世界遺産登録前の崩壊寸前の全景
下写真の中央が上写真の辺り。