モロッコのメディナを歩いていると気付いている人もいるだろうが人種は多種だ。
もともと、メディナ内に住んでいるモロッコ人はアラブ人、ベルベル人、ユダヤ人が
大勢を占めていた。今では移住してきた外国人もいる。そのもともとのまちで
モロッコの各メディナにはメラーと言う地区がある。メラーがユダヤ人街だった。
ほとんどのメラーはメディナ内にある。メディナ内に異教徒を受け入れて街区と
してメディナに住ませたのはモロッコ人の度量の深さかも?!?! たぶん、
いざこざは各時代にいろいろとあったことだろうけど・・・・・
モロッコを知る意味では見どころのまちの風景かも!
しかし、フェズの場合、古い方のメディナでなく、新しい方のメディナにある。
これは何を意味しているのか? よく分からないが、奥の深い話になるかも?!
下の写真が現在のフェズのメラー。雰囲気を見るために写真を見て下さい!
建物表面に木材の装飾をふんだんに使い、他のメラーにはないまちの表情がある。
仏教徒や神道の日本人にはユダヤ人がどのように見えるのだろうか?どうだろう!
モロッコも同じだけど、各国のユダヤ人は第二次世界大戦後に欧米の勝手な都合で
イスラエルへ移住したことになっていた。特にモロッコは独立後、国王が死去してから
モロッコを去ったユダヤ人が多いのは確かだ。それでも、モロッコのメディナには
ユダヤ教徒を示す通りの名前や住人の名前がユダヤ人やユダヤ人の墓地やシナゴーグ
(ユダヤ教会)がいまだにしっかり残っている。特にフェズのユダヤ人は顕著だ。
かつてはフェズにはユダヤ人のための病院もあった。フェズのユダヤ人の墓は
真新しいものもあるのでこの地域で生活している。男性は帽子を見ると分かる。
30年位前に、まちの中のシナゴーグの数や位置を地図にプロットしようとして
シナゴーグを探した。その時はほとんどなかった。しかし、今では簡単に
教えてくれるようになった。何かの変化があったのだろうか? いまだに根底にある
ユダヤ人へのいい意味でも悪い意味でも思い入れがあるのだろうか?!
メラー周辺のまちの構成として、メラーの近くに貴金属の店舗が多いのは確かだ。
これがよく分かるのがフェズとマラケシュだ。どちらのまちも店舗の規模は小さいが
ひしめき合うように店舗が並んでいる。店主にユダヤ人かどうか尋ねるとほとんどが
「そうだ」と答える。いつ頃から貴金属を扱うようになったかは分からないけど、
まちの潤いや人の流れ、その周辺を構成するほかの店舗群は活気が出てくる。
モロッコ以外のユダヤ教徒との交流がある彼らならではの街の作り方だったの
だろうか、興味深い面がある。
貴金属の取り扱い、細工の手法、売買ルートなどモロッコ人にはないモノがある。
下の写真はフランスが入植したころのメラーの通りの風景。20世紀はじめ。
Juifs du Marcoより