ラバト、エッサウイラ、サフィー、エルジャディダはこのブログの記事で
紹介したように立派な要塞を構えている。
このほかにもAsilah Larache Azemmour などに大航海時代の痕跡がある。
スペインとモロッコを挟むジブラルタル海峡!ここから地中海に入ることなしに
ポルトガルやスペインは海岸沿いを南下して物資を探した。これらの国の目的は
キリスト教の布教や香辛料の取引とはよく言われるものの、それだけではなかった。
また、モロッコではたいしたものはなかったらしく、南へ行くための中継地点として
モロッコの海岸沿いに要塞を築いたようだ。
上の地図をよく眺めることがある。
地中海、地中海の出入口、大西洋のこの構図を昔から権力者たちは理解していた。
飛行機もない時代、大きな艦船もない時代、よくこんな環境理解できたと思う。
いまなら飛行機や衛星もあるので一般の人でも簡単にわかってしまう。モロッコの
偉大な旅行家であるイブン バッツウータも理解していただろうこの地理的環境。
大航海時代が終わってから、この環境に価値を見つけたイギリスは抜け目ない
対策として早々と地中海の出入口を2か所(エジプトとジブラルタル)共監視下に
置いた。植民地時代の先を読んでのイギリスの戦略、なかなかの策略。
その後、ジブラルタル海峡に興味を示した国は数知れず。モロッコ側のタンジェには
各国が大使館相当の在外公館を置くことになった。この状況を踏まえ、タンジェは
国際管理下のもとにどの国のモノともならなかった。当時一番欲しかった国は
アメリカだったようだ。それでも大航海時代に勢いのあったスペインは
ジブラルタルのアフリカ側の一部をいまだに抑えている。
イギリス、スペイン、国際管理など、この微妙な力関係は歴史もあり、各国の国力も
影響している。いまだにスペインはイギリスに「ジブラルタルを返せ」とか、
スペインはモロッコに対して高圧的な態度を示すことはよくある。
いまタンジェがアメリカの統治下になっていたら・・・・・・
今ではアメリカのマリーンの海兵部隊はよく、タンジェ沖に駐留している。
上のこの地図はいろんなことを物語っている。じっくり見て下さい。
日本にも関係あるかも・・・・・・?!