マラケシュへ行く日本人観光客が確実に立ち寄る場所、そこがジェマエルフナ広場だ。
このフナ広場には今では屋台が常設店舗のように並んでいる。オレンジジュース売場も
一列に並んでいる。ここは昔からこんな感じで飲食店が並んでいたのだろうか?
このフナ広場は昔は処刑場だったのは有名な話だ。しかしそれを思わせるモノは
跡形もなく、大道芸人と屋台が陣取っている広場になっている。
下の写真は1920年頃の風景。たぶんCafe de Franceからクットビアのミナレットの
方向を見た映像。この写真を見る限り、この時代は大道芸人、常設に近い小屋、他は
たぶん香辛料、革製品、かご、床屋、代筆業、占い、水売りなどが想像できる。
この他にこの時代はクットビア周辺の緑地がほとんど小さい木なのがびっくり!
今では立派な木が生え、夏場はいい木陰になっている。
下の写真は1927年ごろのフナ広場。大道芸人が多くいるのがよく分かる。
たぶん、各種踊り、楽師、講談師、へび使い、猿回し、その周辺に屋台やほか
同じような人たちがフナ広場の活気を作り上げていたことでしょう!
日本は大正時代。モロッコではカサブランカやラバトくらいにしか車のない時代!
マラケシュでは馬車が数台走っている時代! 写真はいろんなことを物語っている!
下の写真は1993年のフナ広場。フナ広場を囲うように道路沿いにオレンジ
ジュース屋台が並んで、広場の中央には大道芸人や商売をする人々がいる。
一部屋台もあるが、時間帯によって屋台の数が違っている。
午前中はフナ広場で商売するモロッコ人は少なく、フナ広場が広く感じた。
占い業、かご売り、香辛料売り、代筆業、水売りなど生活に密着する内容が多かった。
午後2時を過ぎて、4時ごろになると大道芸人が多くなってきた。リヤカーのような
屋台も次から次へとセットされていく。多くの外国人が大道芸人を見て金を払い、
屋台でお腹を満たしていた。
この頃、日本は平成になり、日本人も少しずつモロッコを訪問するようになった。
しかし、この時代はまだ日本ではモロッコ=カルセール麻紀で、カサブランカが
ヨーロッパの一部のイメージだった! まだまだよく分からない国。
この頃、だまされる日本人も多かった。大金を払ってタクシーに乗ったり、大金を
払って土産物を買ったり、モロッコの情報も少なかった。日本人は鴨ネギ状態だった。
今ではネットで検索するとフナ広場のいろんな写真が出てくるので詳細が
分かるかな?? 知りたい部分が出てこないのがイマイチかも・・・・!?
この大道芸人はユネスコの世界無形文化遺産にも登録されている。最初に聞いた時、
この芸人が「文楽と同じレベルなんだ!」と失礼ながらびっくりした!
フナ広場の変貌をじっくり見て下さい!